右は右脳、左は左脳

2011/11/09 11:22


次は、わたしだけの感慨ではないと思う。なんと左(サヨ)には左脳使いが多く、右(ウヨ)には右脳使いの多いことか。

そもそも、マルクス・レーニン主義などというのは、これは政治的、理論的思想であって、一方天皇崇拝などという、わたしのような保守的思想には依拠するに足る論理などはない。依拠するとするなら、この大自然より学んだ経験の蓄積より他にはないのではないか。
もちろん、保守には歴史という時間の積み重ねがあり、わたしが天皇陛下を崇めるのも、わたしの祖先もまたわたしと同様に尊敬する天皇陛下と共に生きてきたのだ、という共感があるからである。

以前に、胡散臭いという言葉について考察を試みたが、この臭さというのは、またウヨに特有のものであるような気もする。一方サヨはイメージ的には無臭である。
サヨは放つ言葉に表れ、ウヨは放つ臭いに表れる。とは言っても、わたしは保守を自認する男であるから、この臭いが嫌いだとか悪いと言っているわけではない。

わたしが崇して止まないウヨとは、たとえば三島由紀夫である。しかし、彼が胡散臭さを発していたなどとは露ほどにも思ったことがない。むしろ、発していたのは芳しい薔薇の香りであった、という気がする。また、森田必勝にしても同じような植物の香を発していたに違いない。

だから、わたしが言わんとするのは、ウヨはその発する臭いでその質が分かる、ということである。また同様に、サヨについては、その語る言葉の論理性で質を判断するしかないと思うのだ。

夏目漱石曰く、知に働けば角が立ち、情に棹させば流される。
とかく、わが国は左過ぎても右過ぎてもうまくはいかない国柄なのである。