ポピュリズムについて

2013/05/26 15:22


橋下発言についてだが、わたしは政治家が暴言を吐くことは決して悪いことではないと思っている。暴言にはその人の真情が込められていると思うからだ。そもそも暴言とは何かということについて考えてみると、人の感情を揺さぶり怒らせるだけのインパクトをもった発言であると解することもできる。だから、論理的には暴言イコール不当な発言とは必ずしもならない。

民主主義の社会においては、政治家というものはポピュリズムに阿らねば生き残れない。だから、日本の政治家はみな一様にポピュリストである。ただ、その阿り方が違うだけのことである。
右であろうと左だろうと、民主主義の国家で政治をやっていくからには国民に阿らねばならない。これが民主主義の原理であり、また民主主義のウィークポイントでもある。政治家が衆愚に阿ればその国はどこまでも衰退していく。日本人は決して衆愚ではない。また決して衆愚になってはいけない。この小さな国は国民の優秀さだけでもっているようなものなのだから。

橋下徹氏もまたポピュリストである。氏にとっての問題は、自らの発言が結果的(戦術、あるいは戦略として)に氏を利することになるかどうかということであろう。わたしは、氏の手法はラジカルではあっても決して間違った方を向いているとは思わない。むしろ、橋下氏は国民を目覚めさせ、長期的には成功するのではないかとさえ考えている。

氏は、何を批判しようとしたのだろう。そして、彼を指弾する人たちはその何に反感を覚えているのか。
従軍慰安婦については、わたしは決して日本という国の特殊性が問題であったとも軍が悪かったのだとも考えない。そのような捉え方は一面的できわめて単純すぎると思う。

金をもらって春を売ることは商売であり、彼女たちは決して「性の奴隷」などということはない。
ただ、彼女たちがそのような行為をしなければならなかった背景には間違いなく底の知れない貧困があり、当時の社会的な背景があった。そして、今と少しも変わらぬ、彼女たちを使って利を得ようとする経済原理も働いていたに違いない。多くの女衒や人売りが蠢いていたはずである。
これはもちろん彼の国だけの問題などではなく、日本においても226事件の背景には貧しい東北地方の飢餓や児童売買があったと云われている。三島の英霊の声からさえこのことは伝わってくる。

数年前に山崎豊子さんのサンダカン八番娼館を読んだ。ここには韓国の従軍慰安婦など霞んでしまうくらい悲惨な少女売春の実態が描かれていた。
ただ、そのいわゆるカラユキさんたちが韓国の従軍慰安婦と大きく違う点は、日本政府によってなんらの保障も受けていないということだ。
「サンダカン」の語り部となった女性は、日本の女性らしく、けっして自らの過去を誰かのせいにはしない。風呂も便所さえない、とても人家とは呼べないあばら家の腐って虫の巣となった畳の部屋で起居し、電力会社から生活困窮者に対して無償供与される100Wの電気で灯る裸電球一個だけが頼りの、最低限の文明生活を送っているのである。

こういうことを考えたとき、わたしは橋下氏の発言に怒りを覚える人以上の怒りを覚える。それはもちろん、従軍慰安婦といわれる者たち(彼女たちはそのときに十分な対価を得ていたはずである)や彼女たちを焚きつけて何らかの利益を得ようとする輩、そしてそういう輩に阿る文化人や政治家に対する怒りである。

時代背景や社会的背景を見ようとしないで、そして彼我の文化の違いなどを見ようとはしないで、単純な人権意識のみで問題を捉えようとするから、お互いの歯車は軋みあい大きな不協和音をかもし出すのだ。わたしにはそう思えてならない。