生きるということ

2013/06/19 13:34

ジャック・ロンドンの有名な二作品(白い牙と荒野の呼び声)を読んで痛烈に感じたことがある。彼らオオカミや犬の世界というのは、これはもう修羅の世界以上の世界であるな、ということである。

白い牙と呼ばれるオオカミの血を75%、犬の血を25%引く主人公は、最初にグレイ・ビーバーという名のインディアンに、次にビューティ・スミスという名とは裏腹に心身ともに醜い臆病者の白人に、そして最後には判事の息子であるウィードン・スコットという逞しく心優しい男に拾われハッピーエンドを迎える。 

一方、荒野の呼び声の主人公バックは父親がセントバーナード、母親がスコッティシュシェパードという大型の雑種犬である。こちらのほうは、最初サンキスト(sunkissed)サンタクララで幸福な生活を送っていたのだが、突如使用人の男に盗まれて赤いセーターを着た犬買いに売られてしまう。
この犬買いはバックを棍棒でこっぴどく叩きのめし、人間に歯向かうとどうなるかということを教え込む。そして、バックを橇犬として300ドルで売りつけるのだ。買値が50ドルだから大儲けである。このころのアメリカはゴールドラッシュで、北方では大変な橇犬の需要があったのだ。

バックも小説の最後ではオオカミの群れと一緒になり、以前とはまた違った彼なりの幸福を得る。結局両者ともにハッピーエンドの結末となるのだが、問題は、というか、わたしが修羅を感じたのは、その過程である。

白い牙の場合、彼はグレイ・ビーバーの手からビューティ・スミスの手へと渡る。腹の黒いビューティ・スミスの策謀により、白い牙は金ではなくウィスキーによってビューティ・スミスのものとなるのである(酒というものを知らなかったネィティブアメリカンが如何に白人によって堕落させられていったかの一端をここで知ることができる)。

ビューティ・スミスはもちろん、白い牙をペットにしようと思っていたわけではない。
白い牙の闘争性を見抜いていた彼は、闘犬で稼ごうとしたのである。彼の見込み通り、白い牙は全戦全勝を続ける。勝つこととはすなわち生き残ることであり、負けることは死を意味する。

人間の社会にももちろん戦いはある。しかし、これほど端的に生死を分けるような戦いはやくざの抗争か戦争以外にはそうめったにあるものではない。

白い牙は、様々な犬や狼、それに大山猫とまで死闘を演ずる。そしてそのたびに相手を血祭りにあげるのである。
結局、最後にはチェロキーという名のブルドッグと戦うのだが、これが意外に難敵で首を掻き切ろうにも背が低すぎるのとその大きな顎が邪魔になって致命傷を与えることができない。しかもブルドッグはそもそもが生まれつきの闘犬なのでまるっきり怖れというものを知らない。観客の声援に尾を振って応えるほど余裕綽々なのだ。

そしてついに白い牙は、チェロキーにつかまってしまう。チェロキーの頑丈な顎が彼の首にがっちりと食らいつく。白い牙は、狂ったように暴れて振りほどこうとするのだが、ブルドッグは鼈のように食いついて離れない。

こうなるともう、勝敗は決したようなものである。

しかし、白い牙は死の寸前でウィードン・スコットに救われる。スコットは、拳銃の筒先をブルドッグの口にねじ込み、それを梃にして二匹を引き離すのだ。

荒野の呼び声でも同様に修羅の世界が繰り広げられる。橇犬となったバックは、大型のスピッツ犬とそのリーダーの地位をめぐって戦うのだが、戦う二頭の周りにはハスキー犬が見物客のように群がる。ただ彼らは見物客のように金を賭けているわけではない。彼らは、戦いに敗れた方を食うために涎を垂らしながら、死闘の生末を見守っているのだ。負けた方は、彼らの胃袋に収まるというわけである。
結局、かつて橇犬のリーダーであったスピッツは決闘に敗れ、跡形もなく消えてしまう。すべてがハスキーたちの胃袋に収まってしまったのである。

彼らの世界は、まさに食うか食われるかなのである。生きるということは、すなわち相手を食い殺す、いや殺して食うことである。
「白い牙」の初めのシーンでも飢餓が描かれている。シーウルフ(She Wolf)をリーダーとするオオカミの群れが棺を搬送中の橇犬を襲う。彼らは、毎夜一頭づつ犬を襲って食らい、終には人間までも餌食にしてしまうのだ。

彼らにとって、人間の善悪感などせせら笑うべきものであろう。同類を殺して食う。そのことに何の咎があるのだ、と彼らなら応えるに違いない。生きることこそが善なのだ。神はわれらをそう作ったのだ、と言うかもしれない。

いずれにせよ、人間という生き物は彼らに比べればはるかに甘ちゃんである。人間は、道徳や法律を作り、独自の世界を築き上げた。しかしそれらは所詮、自然という最も崇高な憲法の下に置かれた特別法でしかない。

ジャック・ロンドンは、自然の掟という最高の法の存在を伝えたかったのかも知れない。