忘却について

2013/07/15 11:13


オブリビオンという映画を見た。コンゴという小説を読んだ。白い牙を読み、荒野の呼び声も読んだ。
これらの経験がいま頭の中で沈殿し何か新しい結晶を形成しようとしている。

オブリビオンの背景、シチュエーションは、はるか未来、異星人に地球をのっとられ、絶滅寸前の人類の姿だ。ただし、この映画のテーマがそこにあるわけではない。

わたしは、この映画から田中光二の「死が我らを別つまで」を思い出した。このSF小説のタイトルからクローンを連想できる人はかなりシャープな感性の持ち主であろう。
たしか、「死が・・・」では、主人公たち7人はクローンだった。死が二人を別つときまで・・・というのは、結婚の誓いの言葉だが、この小説においては、死が別つのは夫婦ではなくて、一卵性の多生児というわけである。
オブリビオンでもクローンが主要なテーマになっていた。主人公のジャック・ハーパーも無数存在するクローンの一人というわけなのである。

ジャックからはほとんどの記憶が奪われてしまっている。過去の記憶を消去され、虚偽の記憶が植えつけられているのである。しかし、ほんのわずかながら消去されずにいた記憶があった。その記憶が古書をひもとくことによって蘇る。それは懐かしい妻との思い出であった。

さて、ジャック・ハーパーは、インディペンデンス・ディで勇敢な戦闘機パイロットが敵の巨大な宇宙船の心臓部に特攻を試みたように、彼自身も敵船内部に侵入し自爆する。その自爆の前に読み上げるのが「橋の上のホラティウス」という詩の一節である。

曰く「「地上の人間にはすべからく 遅かれ早かれ死が訪れる。ならば父祖たちの遺灰のために 神々の神殿のために、かつて彼をあやしてくれた
優しい母親のために、彼の子に乳をやる妻のために、永遠の炎を燃やし続ける清き乙女たちのために、彼らを恥ずべき悪党セクストゥスから守って 強敵に立ち向かう これに勝る死に方があるだろうか・・・」

ここで、クローンについてだが、これは技術的には実用の段階に来ている。つまり現代医学は、年齢がう~んと違う双子の弟、あるいは妹を創ることができるまでになった。
実現を妨げているのは、医療倫理とか法律とか、まったく科学とは関係のない基準である。

このことを考えたとき、わたしは、冒頭に述べたコンゴや白い牙、野生の呼び声を思い浮かべてしまうのだ。
コンゴ」では、食人がかなりの重みをもって書かれていた。キリスト教マホメット教も仏教も持たぬ彼らKigamiにとって、人食いはなんらタブーではなかった。それはごく日常的な、まさに茶飯事だったのである。

「白い牙」、あるいは「野生の呼び声」でも、犬やオオカミが仲間を食うシーンがある。これは人間の食人に相当する行為といえるであろう。
また、ある学術的な調査によると、チンパンジーの群れにおいても、雄のチンパンジーが生まれたての赤ん坊を引き裂いて食うシーンが何度か観察されたという。
これらのことから考察されるのは、いわゆる共食いは決して特異な行為ではない、ということである。人間の社会においては、それが宗教やタブーの観念の発達に伴い、次第に行われなくなっていったということであろう。

クローンの話に戻るなら、結局これも倫理に悖るというようなことになって、密かに、極秘裏にごく一握りの限られた人たちの間で行われることになるであろう。つまりは、クローン再生は現代のタブーになってしまった、ということである。

たしかに、クローン技術にはもはやなんらメリットはないのかもしれない。なぜなら、iPSやES細胞技術の進展により、医療再生の観点からはクローンになんら優位性はないからである。
それに、クローン技術によって自らと全く同じ遺伝子を持った兄弟を創ってみたところで、自我の死から逃れられるわけではない。クローンは不老不死の妙薬ではないのである。

しかし、クローンが倫理に反することになるかという点については、わたしには大いに疑問がある。
なぜ殺人はいけないか、自殺はいけないか、あるいは食人はいけないか、というような問題と同様に論理的な答はない、と思うからである。。

わたしは、クローンは原子力と同じように、鬼子のような扱いを受けながらも細々と未来に向けて続いていくものと信じている。なぜなら、それは、何度も言うように、あくまでも純粋な科学技術であり、本来的には倫理などとはまったく無縁の代物だからである。

わたしが思うに、人類のはるか未来にはこれまでの進化を超えた新たなる進化の道が開けていると思うのである。
考えてみれば、進化は減数分裂から有性生殖への道を選んだ。その進化の道を、人間は科学技術の力で再び減数分裂へ戻すことを可能にしたのである。

人間は、科学技術というプロメテウスの火を手に入れた。この火は人類を新たなる進化に導くものである。わたしはこれを神化と呼びたい。
人間は、科学技術を決してタブー視してはいけないのだ。