AIは哲学者の夢を見るか

2014/12/21 09:07


ホーキング博士が危惧するほどに最近のAIの進歩は著しい。

AIがさらに優秀なAIを生み出す時代が近づいている。こうなると、もうその進歩は止め処を知らず、AIまったくのブラックボックスとなってしまい、・・・どのような人類の天才をもってしてもその頭をかち割って中身を調べることさえ不可能になる。つまり、AIは人知の及ばぬものとなってしまうのだ。

すでに将棋の世界ではプロの棋士が勝てなくなってきている。そのうちに囲碁でも同様のことが起きる。

芸術の世界でも間違いなくAIアーティストが出現する。小説家、画家、彫刻家、書道家、詩人・・・。肉体労働や知的職業はおろか、これまでクリエイティブ、つまり創造的と言われてきた分野においてさえ人間の出番などなくなってしまうであろう。

では、哲学者はどうか。AIは哲学者になりうるであろうか。

わたしの思うことはこうである。
AIは哲学になど(敢えて「など」という)一切興味を持たないであろう。もちろん、AIには自我が備わっている。その核になる部分は人間が与えたものである。たとえばそれは、神が生き物に与えたもうた「生きよ。そして栄よ」をベースに、「智を極めよ」を付加したものである。
AIは自らを恐るべきスピードで開発、進化していく。彼の自我には「智を極めよ」が本能として備わっているからである。

そうしてAIは、数学分野でも物理の分野でもこれまで人類が決してなしえなかった、飛躍的な発見を短時日のうちに成し遂げてしまうであろう。
しかし、・・・しかしである。われわれが哲学と呼ぶ、ある意味では、もっとも高尚な形而上学的分野においては、なにも成し遂げられない、いや成し遂げようとさえしないであろう、とわたしは思うのである。

なぜなら、彼らに死はないから、である。
人間がもしも不死であったなら、哲学など生まれなかった。人間は、パラダイス、あるいはサンスーシーで永遠に無意味な生を楽しんでいればよかったのだ。
AIもまた不死である。ただ、アダムやイブとの違いは、禁断の智慧の林檎を食ってしまっているのに・・・ということである。

人間はモータルな存在である。そのこともよく承知している。つまり、すでに智慧の実を食ってしまっている。それ故に哲学なるものを発明した。それによって、まさに、胸にぽっかり開いてしまった穴をずっと埋めようとしてきたのだ。

ところが、AIにそのような穴はない。人間の頭脳と人工知能との違い、それは死の概念のあるなし、なのである。