ダメ恋と婦系図

2016/02/12 19:38

○十年ほど昔、わたしは今も若いがその頃はずいぶんと若かったので、おばさんたちにはよくモテた。若い娘たちにモテなかったわけではないが、ドーいうわけか、当時のわたしは年上の、それも一つや二つではない年上のマダムの方に目が向いていたのである。

というようなことは、ただの枕に過ぎないが、そういう心身ともに充実していたある日のこと、わたしはオジさん、オバさんたちと飲みに行って、たっぷりと唐揚げを食い酒も飲んでカラオケも歌うはめになった。
わたしは、大変に機の回る男であるから、かねてから歌ってみたかったということもあり、な、なんと驚くなかれ、あの湯島の白梅を歌った、いや歌おうとしたのである。若輩にもかかわらず、すでに巷間、いぶし銀のような、と若い娘たちから囁かれ敬遠されていたこのわたしであるから、男の純情や湯島の白梅などといった艶のある歌の一つや二つは知っているつもりであったし、歌えないはずはない、という思い上がりもあった。

しかし、とここで言わねばならぬのが残念である。非常に悔しいことには、一番の♪しーるや、しらうーめ、あたりで既にキーが限界に達してしまった。ここで助け舟を出してくれたいぶし銀の頭をしたおじさんのことは生涯忘れまい。すーとわたしは素直にマイクを譲ったが、いやーそのうまいことうまいこと。内心わたしはすっかりしょげかえってしまった。

さて、その○十年前の復讐をしようと思い立ったわけではないのだが、妙に懐かしい思いに襲われて、鶴田浩二歌うところの湯島の白梅をyoutubeで聞いてみたのである。
いやぁ、いまさらながらに鶴田浩二の男っぷりのよさに惚れ込んでしまった。ほんとにいい男だ。まるで自分を見ているような気がする、というのはもちろん自惚れではない、ほんの冗談のつもりである。それにお蔦の役をやる山本富士子さんのなんと美しいことか。山は富士なら、酒は白雪、というコマーシャルではないが、やはり山本富士子は日本が誇る富士のお山のような女優である。

閑話休題、などと、ずいぶん古めかしい言葉遣いになっているのは、これはわたしが古い男だからではない。実はわたしは、今に至ってもずいぶんモボ(と言っても、今の若い衆にはわかるめぇ)であると自負しているのであるが、言葉の使いは、ごく最近、泉鏡花大先生の薫陶をかってに受けたばかりだからである。
何を隠そう、湯島の白梅に引き摺られて、とうとう「婦系図」を青空文庫で読んでみたのである。

するとたちまち、まるでだめお、じゃなくて、まるで浦島太郎、の世界に引きずり込まれたよう。というのも、このころの文章の特徴、というよりこれは鏡花先生独特の艶があって舌の滑りもよい、江戸っ子のちゃきちゃきした感じの伝わってくる情景にすっかりと幻惑されてしまったのである。

ついでにいうわけではないが、これを読めば如何に左に偏った人物であろうと、日本人であれば必ず当時のわが国の文化、風習、人情の機微が例を見ないほどに優れたものであったことが手に取るように分かろうというものだ、と思うのである。残念なことには、戦争に敗けて、アメリカの野暮で野蛮な風習にすっかり毒されてしまって、本当の粋や美しさについての感性というものがまるっきり廃り果ててしまったのである。

話を戻そう。特に感心するのは、主人公早瀬主税の先生にして大恩人である酒井俊蔵の粋人ぶりである。これは疑いようもない、泉鏡花が師事した尾崎紅葉がモデルである。泉の尾崎に対する尊崇の念が酒井の像に結晶化したに違いない。
ある縁日で、偶さかだったかどうだか、早瀬が占いの本を値切っているところに酒井が出くわす。実は、酒井には思惑があって、早瀬を連れて飯田橋の方に向かおうとする。先生、どこへ、と聞くとおまえの家に行くのだという。早瀬がお蔦と同棲する借家を訪れようというわけだが、このことはまだ先生には内緒のはずである。慌てた早瀬は、女中が寝ているから、などと理由にならぬ理由を述べて、酒井が自宅に来るのをなんとか阻止する。それなら、と酒井はここでくるりと踵を反し、早瀬をあるところに連れていくのであるが、これが柏家という芸者屋。
なにがお薦めかといって、ここでの酒井の話が、べらぼうに面白い。とても独逸語をやる固い先生の話ではない。独逸語ではなくて都々逸の間違いではないか、とさえ思ってしまうほど、粋のある、艶もあって情が深くて男気のあるとってもよい話しっぷりなのである。
これはもう、泉鏡花の尾崎に対する思い入れがたっぷりと籠っているから、自然にそれがにじみ出て、このようないい味になっているとしか思えない。やはり、情がこの小説を書かせたのである。

話は380度変わるが、モボのわたしは、このごろ「ダメなわたしに恋してください」とかいう、深きょん演ずるところの恋愛ドラマを見ている。知っているひともあろうかと思われるが、三十路を過ぎたばぁじんの貢癖のある娘がディーン藤岡演ずる、ちょっと意地悪で影のあるわたしのようないい男が営むところの、その名をひまわりというコーヒーショップだかオムライス屋だかの居候になって二階に居所を与えられ、勤めにも出、この店でアルバイトもしぃ、生まれて初めての恋愛も・・・、果たして成るか、と大いに気を持たせる仕立てになっているのであるが、この通りわたしは、泉先生の薫陶を受けたおかげで、このドラマがどうも婦系図と通底するように思えてしようがないのである。

いやぁ、ダメ恋には実に日本人らしさ、日本的な情緒が満ちあふれている、いやぁ、ミチコはお蔦だ、芸者だ、(いやぁ芸達者かもしれない)という気がしてしようがないのである。そういえば、柴田ミチコというこの主人公はお寺の娘、ということらしい。そのくせに肉が大好き、という設定もなかなか洒落ていてきっと泉鏡花先生も喜びそうである。