VR

バーチャルリアリティというのが言葉の上でもまた機器名としても普通に使われるようになって、じゃあこの宇宙もそういうものじゃないの、と思う人も多くなってきた。

コギトエルゴスムで知られるデカルトは、もちろんVRなど知らなかったが、今の世に生き返ったなら、まさに俺が言いたかったのはこのことなのだ、というに違いない。

彼は自分が本当に存在しているのかどうか確信が持てなかったのだ。色々と考えあぐねた末に、とうとう彼は、こうして考えていること、それ自体が自分が本当に存在していることの証拠であると考えた。

存在とは如何に脆く弱いものか。

ラプラスは、すべてのパラメータを与えてくれれば未来を予想してみせると言った。すべてのパラメータを本当に与えられるかというと大いに疑問がある。なぜなら、パラメータは時間と共に変化してしまう動的なものであるから。

それよりも、この世がバーチャルリアリティのような、シミュレーションのような世界であったとしたら、シミュレーションの中でシミュレーションをすることはできないと思う。これはちょっと考えてみただけでも分かる。それは、何から何までそっくりな後追いの世界を再現することだからだ。

たとえば、さっき500円玉を落として、どこかテーブルの下の方に転がっていったがいくら探しても見つからない。というので、500円玉が落ちる前と同じ条件をつくってもう一つ500円玉を落としてみたとする。

見つかるわけがない。

シミュレータの中でこのシミュレータのやることを再現することなど出来やしないのだ。

わたしたちはカレンダーから24節を知り農業に役立たせたり、あるいは歴史から戦争の予兆や行方を学ぶことは出来る。

しかし、それはこの宇宙の大きな循環というスパイラルな性質を習慣的に知っているというだけのことなのだ。