聖の青春を見た

2016/11/30 22:44

久しぶりにいい映画を見た。これは誰の原作だったのだろう。忘れてしまったが、もちろん、いい原作なしにはいい映画はできないであろうから、原作も褒めなければならない。

さらに言うなら、棋士村山聖の短い人生が素晴らしくなければ、そもそも誰もこのようなノンフィクションを書き、またそれを元に映画を作ろうとなど考えやしないであろう。

聖を演じた松山ケンイチが実にいい味を出していた。この配役はまさに適材適所そのものである。
羽生善治の役をやった東出昌大が少し残念に思われるのは、羽生の形態模写に終わってしまったように思われるからである。

冬の北海道を舞台に聖と羽生の対局が行われる。この将棋に勝った聖はその夜の宴席を抜け出し、見つけたばかりだという夫婦二人でやっているよしのやという飲み屋に羽生を誘い出す。

聖がこの店が気に入ったのは、店の主人がどんな客も特別扱いしないで放りっぱなしにしてくれるので、きっと羽生さんのことをよく知っていても知らんぷりしてくれますよ、ということであったのだが、案に反してというか、おそらくこの主人、単に村山聖を知らなかっただけだったようで、おう、羽生さんじゃないか、後でサインをくださいよ、などと平気でおねだりをするのだ。

このシーンはとても重要で、聖に負けた羽生のここでのセリフが羽生の将棋観や人間そのものをよく表すものとなっている。しかし、わたしが残念に思ったのは、東出の演技にその深みが出ていたとは言えなかったからである。
映画自体は、将棋という僅か三十センチ四方の宇宙での戦いを、静かではあるが深海のように深い世界での戦いを上手く描き切っていた思う。
もちろん、東出の羽生も悪くはなかった。高く評価する人もいるであろう。
しかし羽生は、聖にとって最高の、彼が望むもの全てを手に入れた羨望のライバルである。将棋での対決と同様に、この羽生にも松山が演じた聖以上の、聖とは対極にあるはずの人間羽生善治を演じて欲しかったと思うのである。

幼いころにネフローゼを患い、死ぬまでそれに苦しめられながらも羽生と互角以上に戦い、彼を追い詰めながらも最後には膀胱がんに侵され、僅か29歳で逝ってしまった天才棋士村山聖

彼は、こんなものに何の意味があるんですかと言って応えようとしなかった将棋連盟のアンケートに、死ぬ間際に回答を寄こす。

アンケートのクエスチョンは、

将来AIが棋士に勝つ時代が来ると思うか

聖:永遠に来ない

神がたった一つだけ望みを叶えてくれると言ったら、何を望むか

聖:神が抹消されること

深い、とてもよい映画であった。