2009/12/13 10:02
昨日の余韻の冷めやらぬうちに日記の続きを書くことにする。まず出発前に常盤橋公園において、大きな渋沢栄一の像を見上げながら、今回のデモの主催者、及び賛同者のスピーチを聞いた。
そのスピーチのほとんどは、日本ウィグル協会全権代表イリハム・マハムティ氏の言葉に代表されていたように思われる。すなわち、中共国内で起きている人権蹂躙は決してシナの国内問題に留まらず、その覇権主義はいずれ日本にも大きな惨禍をもたらすであろうということである。
新疆ウィグル地区とシナが呼ぶ地域は、ウィグル人をはじめとするテュルク系民族の住む土地「東トルキスタン」であった。しかし、1949年にシナがこの地域を不当に支配し、この地域の主人公であったウィグル人を「少数民族」と呼び弾圧している。(日本ウィグル協会ちらしより)
わたしたちは、シナの残虐、非道性を知っているようで実は何も知らない。しかし、このままでいけば必ず肌身をもって知らされることになるだろう。この国は、文化大革命と称してはいるが、実は文化大破壊というべき血で血を洗う恐るべき権力闘争を行い、日本の人口の半数にも当たる6000万人もの同胞を、しかもその多くが知識人と呼ばれる選良を殺害してきた。したがって現在の中共の権力者たちはすべてその生き残り、すなわち殺戮の側にいたカスどもであるといっても過言ではない。
今回のデモ参加で思いを新たにしたのは、その中共の走狗である小沢一郎という人間の卑しさについてである。この男は、自身を人民解放軍の野戦軍司令官であると吹いたらしいが、おそらくはシナ人からも失笑が漏れたことであろう。国を売る者は必ず買う者からも侮蔑される。およそ常識である。
それにしても、なぜこの男は、清水の大政ではないが、この国を憂うるのではなく売るのか。
それは、この男のメンタリティがわたしたち日本人のものとはまったく異なるからである。鳩山などは、わたしはその出自について詳しくは知らないが、おそらく小沢の伝書鳩ていどでしかない。今回の習近平が畏れ多くも天皇陛下へルール違反もはなはだしい謁見を申し出た件についても、小沢司令官の命を受けて宮内庁に要請しただけのパシリに過ぎない。そのメンタリティは、少し変ってはいるかもしれないが日本人の域を大きくはみ出ているとまでは言えない。
しかし、この小沢という男についてはまったく別である。わたしたち日本人は、この父祖の地にしっかりとした根をはり、この国の文化と伝統、そして常識という栄養素を吸い上げてきた。そして、まさにこの国の旗のシンボルである太陽の恵みを受けて青々とした美しい葉を茂らせる一本の木へと成長してきたのである。
だが、小沢はそうではない。この男のメンタリティには日本人としてのアイデンティティはない。日本人としての誇りも常識も勿論ない。それはなにより、彼の言動が示している。彼は、早い話が根無し草である。
それにしても、何たることであろう。2600年にもわたる一大文明を築き上げてきた国の一番の権力者と目される男が、なんと根無し草なのである。心の漂流者、心のホームレスと言ってもいいだろう。とにかく心に定住する場所がないのだ。
誰かがこの男を救ってやらない限り、わたしたち日本人も救われないのではないか。だから、どうか心優しい鳩よ。その友愛の精神とやらを、この可哀想な男にこそ注いでやってはくれないだろうか。大多数の日本人と同様、わたしもそのような愛はご遠慮申し上げるから、どうぞこの小沢一郎という男の心に思う存分注いでやってくれ。