2016/06/14 11:22
数学とは幾何学である。あるいは、数学とは仏教である。というのがわたしの持論である。偉大な数学者岡潔がお経を唱えていたのも首肯できる。
年寄りの繰り言のようで嫌なのだが、たとえば、奇数ばかり1から始めて100個足す。答えは一万である。あるいは、2から始めて偶数ばかり100個足す。答えは一万と100である。
これを式にすると、
?A=n^2となり、
?A=(n+1)n である。
これがなぜ幾何学か?
それは、タイルを貼っていけばよく分かる。
?であれば、最初は口という字になる。次が1+3であるから、田という字になる。次は1+3+5であるから囲である。
つまり、奇数ばかりを足していくと四角形の辺が1づつ大きくなっていくのである。
?の場合、?の底辺にタイルを一個、二個、三個と付けていくだけであるから、答が n^2+n になるのは自明である。
さて、幾何学とは上のように形の関係のことである。では、なぜ幾何学と仏教につながりがあると考えるのか、である。
飛躍するが、特殊相対性理論(一般相対性理論もそうであるが)は幾何学である。それは、非ユークリッド幾何学の一部であるリーマン幾何学から成り立っている。アインシュタインはこれを完成させるのに、ミンコフスキーの助力を得なければならなかった。
いずれにせよ、これにより、時と空間とは決して切り離して考えることのできないものであることが明らかになった。つまり、宇宙を時空連続体として捉えなければならないことが分かったのである。
ところで、事象、現象とは、二つ以上の「物」の間の空間的関係とその変化である。つまりは、時々刻々と変わる二つの「物」の位置的関係によって生じる力やエネルギーの変化のことをわたしたちは事象と呼んでいるのである。そして、仏教ではこれを「縁」と呼んでいる。これがわたしの考えである。
あれをご覧と指差す先に月がある。
指月。仏教の言葉であるが、指があり目があり、そして月があるわけで、これらの関係は幾何である。そして、そこには仏教の精神がある。