留魂録より

2010/10/04 22:40


第八章

一、今日死を決するの安心は四時の循環に於いて得る所あり。蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未だ曾て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云えば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定りなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。十歳を以て短しとするは虫惠蛄(けいこ)をして霊椿たらしめんと欲するなり。百歳を以て長しとするは霊椿をして虫惠蛄(けいこ)たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。義卿三十、四時巳に備はる、亦秀で亦実る、其の秕(しいな)たると其の粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、及ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり。同志其れ是れを考思せよ。