てんかんについて

2011/04/23 19:14


クレーン車による小学生6人の死亡事故。ほんとうに残念でならない。
死んでしまった子供達や親御さん、それに級友や先生のことを思うと、運転手のことが憎くなる。
しかし、この運転手の母親は、息子の勤め先に手紙を書いて、息子がてんかんの持病をもっていたこと、そして3年前に同様の事故を起こして執行猶予中であったこと、それを今まで隠していたことを詫びたのだという。

わたしは、これを新聞で読んで、何かやるせない気持ちになった。この母親は、実に正直な人である。勤め先が迷惑を受けないための配慮が窺われる。
そして、この親子の身になって考えてみると、てんかんという持病を持っていれば、これはもう、大幅に職業選択が制限されるであろう。現に車を運転するにも制約がある。
これは、てんかんという病気の性質上当然のことであるが、今の社会で生活していくには相当に不便なことである。
思うに、この運転手の母親も、息子がようやく見つけた仕事を、むざむざ辞めさせるようなことは出来なかったのに違いない。結果論を言えば、母親は息子に今の仕事は危険だから、と説得して止めさせるべきであった。しかし、やはりそれは空虚な理想論に過ぎない。おそらく母親は、息子を説得したのであろうが、息子としては重機を運転するあの仕事以外に選択肢はなかったのである。

わたしは、ついつい孔子の父と子の隠し合いの話を思い出してしまう。シチュエーションとしては、母と子の隠し合いであり、母が子を庇うために嘘をついたということではあるが、この母親が孔子のいう直き人であることに変わりはない。いや、母親とはこういうものなのである。愚かなのである。わが子を思う余り、結果的に子も自分自身も不幸にしてしまうという性をもった生き物なのである。
わたしは、事故というものは大抵そうであるけれども、この事故は二重の悲劇であったと思う。被害者はもちろん、加害者にとっても大変悲惨であった。

いったい、この事故はなぜ起きたのか。この悲劇の真の原因を問い質すなら、畢竟それは今の運転免許制度へと辿りつく。なぜなら、この運転手は、持病を隠して免許を取得していたからである。今の運転免許は、てんかんの持病があっても一定の条件を満たせば取得できる。しかし、この運転手のように持病を隠して取得する者もいるのである。つまり、現行の免許制度は、てんかんについては、性善説に基づいてなのかどうかは分からないが、結果的には一切チェックが行われていないのである。

そして、一度免許を取得すれば、この運転手のように3年前に小学生を跳ねて怪我をさせていても、免許証を取得している以上は、仮にてんかんの持病を持っていたとしても一定の条件をクリアしているはずであるから、とその事故の原因がてんかんの発作によるものであった可能性については一顧だにされないのである。この時に警察がきちっと調べていれば、あるいはきちっと調べることが可能であったならば、今回の悲惨な事故は防げたのではないのか、とかえすがえすも残念でならない。

何もてんかんだけに限ったことではないが、てんかんも車を運転するには非常に危険な病気である。この認識は、てんかん差別などといった歪曲したレンズを通して見ては絶対にいけない。てんかんの持病を持つ者が薬を飲まずに車を運転することは、飲酒をして車を運転するのと何等変わらない。