意志について

2011/07/22 12:16


一匹の蟻を踏み潰すか否かで将来は変わるだろうか? ゲーテはこのような疑問を提示した。
いわば、人の意志が未来に影響を及ぼすかどうか、という問いである。もちろん、人の意志の力は大きい。このことに疑問をはさむ余地はない。しかし、それが人の意志であろうと、チンパンジー、あるいは鶏の意志であろうと、それによって未来の姿が変わるかというと、大いに疑問がある。

そもそも意志とは何かという問いに明確に答えることは難しい。もちろん、広辞苑なりを引けば、言葉そのものの意味はすぐに見つかるであろう。しかし、意志というものの根源にあるものは何かと聞いたときに、その答がすぐに見つかるだろうか。

自然にも意志はある。風にも雨にも雷にも意志がある。と、わたしは考える。同様に、鶏の小さな脳みその中の、さてミミズとダンゴ虫のどちらを先に啄ばむか、という意志決定は自然現象であるとわたしは考えるのである。そのとき鶏の脳の中では、これはもちろん比喩ではあるが、嵐が吹き雷鳴が轟いていたのかも知れない。そして、そのとき突如として雷が落ちみみずを啄ばむ方を選択させたのかも知れないのだ。

人の意志にしても同じことである。雷がどこに落ちるか、あるいは台風がどのような進路を辿るかということと同じで、その意思決定にはミクロからマクロまで途方も無い数の要因が影響しあっているが、台風の進路や落雷と同様に、それは予め決められていたことなのである。
わたしの考えでは、脳とは大自然がコンパクトに詰め込まれたものである。人の意志とて完全な予定調和の中にあるのである。

わたしは、意志というものに本質的に将来を変える力はないと考える。意志とは、単に脳内のある種の反応であり風が吹いたり雨が降ったりするのと何ら変わらない。わたしたちは、それを特別なものと思い込んでいるだけである。