Geek

2012/03/21 20:24


エドガーアランポーの作品にタール博士とフェザー教授の療法というのがある。タール(コールタールのタール)とフェザー(羽)という奇妙な名前からも分かるように、これはコミカルな短編小説である。しかし、コミカルではあるが読みようによっては重い作品でもある。

さて、この作品。内容的にはもはや陳腐というよりないが、舞台が精神病院だから精神を病んだ患者ばかりなのは仕方がないが・・・。

この世は10000%、精神を病んだ人間ばかりである。生まれたてのほかほかの赤ん坊から今際の際の年寄りまで、完全な健康体が存在しないのと同様に、誰もがどこか精神に異常を抱えている、筈である。
自分を正常と思っている者ほど狂っている、と考えて間違いない。

アスペルガーという疾患(?)がある。かのスピルバーグ監督もそうらしい。
では、アスペルガーとはどんな疾患か? わたしにはよく分からない。ただ、ひょっとしたら自分自身もアスペルガーなのではないか、と思ったことは、長い人生の中で一度や二度ではない。アスペルガーという言葉が存在しなかった子供のころから、わたしは、自分は他人とはどこかが違っていると感じていた。

アスペルガーの特徴の一つは、コミュニケーションがうまく取れないことだという。ところがわたしは、コミュニケーション能力は人並み以上にあると自負している。
では、なぜ自分をアスペルガーではないか?と疑うのか。コミュニケーション能力は、自身のアスペルガーたる欠陥を隠すために発達させることができる。しかし、欠陥そのものは決してカバーできない。
わたしは、集団というものが好きではない。集団でわいわいがやがやしているのを見ることは決して嫌いではないが、その中に敢えて飛び込もうとは思わない。それには相当のエネルギーを要するから・・・、というよりも、何がそんなに楽しいのかよく分からないのである。
わたしにもひとの冗談は良く分かる。自分で冗談やしゃれを言うのも楽しい。しかし、冗談やしゃれは、いわば機知の範疇に属するもの、理性で理解するものである。ところが、わたしにはいわゆる世間話やおしゃべりの類がなかなか理解しがたいのである。

ところで、アメリカなどではいわゆる変人のことをgeekと言うらしい。これは大変に便利な言葉であると思う。日本語に敢えて訳すならオタクということになろうが、オタクよりはgeekの方が何となく明るく聞こえて良い。
geek. わたしに言わせればアインシュタインgeekだった。エジソンもそうだったし、ビル・ゲイツgeekである。

なぜ、神はこの世にアスペルガーを、そしてgeekを存在させ給うたか。
やはり、この狂った世に変人はいつも必要だからである。