無言の言

2012/04/21 11:49


無用の用、無知の知、そして無言の言。いずれも言語矛盾のような言葉である。

このうち、無言の言とは、真理を極めた者はもはや言葉を必要としない、あるいは、真理は言葉などでは表せないから、真理を訊ねられても無言にならざるを得ない、というような意味であろうか。

ところが、わたしのような愚人は、言葉、それもきわめて稚拙な言葉以外に表現方法を持たない。
ただ、それでも無言の言はなんとなく理解できるのである。人間顔じゃないよ、と寅さんなら言うだろうし、あの笠智衆演ずる御前様に「おまえは人並み以上の体力と人並みに近い頭脳を持っているのだからウンヌンカンヌン」と言われるくらいだからIQはきっと高くはないのかも知れないがEQとやらの方は極めて高そうな彼のことである、きっと、人間言葉じゃないよハートだよ、とも言いそうである。

余計な枕をふってしまったが、しかしわたしには、無言の言とは、もっと本質的なことを言っているようにも思えてくる。
雪を一度も見たことのない沖縄の子供に雪の説明をするより、一度新潟か長野にスノボーにでも連れて行ってやったほうがずっと理解が早いであろう。いや、本当の理解は体験からしか生まれない。そのことを言っているのだ。

いや、それとも違う。
無言の言とは、わたしたちは言葉を良く理解しているようでいて、実際には言葉そのものに深く捉われてしまって、つまり積み重なった言葉という名の落ち葉ばかりに気をとられて、それに隠されてしまった真実を見失う傾向がある。そのことを言っているのだ。
禅でいう指月とはこのことである。

いや、それでもまだ違うのだ。
無言の言とは、わたしたちの使っている言葉は本質的に万能ではない、ということを言っているのだ。
言葉とは、人間が、いや全ての肉体というものを持つ生物がそれときっちり照応した精神を持つように、その精神性に応じて発生したコミュニケーションツールである。

人間の世界にも実に多種多様な言語がある。同じ言語にも方言があり、訛りもあればイントネーションの違いもある。これらを組み合わせれば、言語の数は人の数、すなわち地球上の人口と等しくなってしまうであろう。

その上に、わたしたちが普通言語とは言わない言語さえある。
それは数学や物理などで使う方程式などである。これはきわめて論理的、かつ合理的言語である。

たとえば、E=mc^2 このアインシュタイン特殊相対性理論による方程式は、たったこれだけの文字数で、あの原子力発電所や、核爆弾の基本的原理を表しているのである。いや、この式を少し変形すれば、mx=m/√(v/c)^2 となって、質量を加速し光速に近づけるには途方もないエネルギーが必要になることが分かる。同じ言葉でも、解釈によって表現する現象が違ってくるのである。
そして、驚く勿れ。あの般若心経の色即是空、空即是色もこれを表しているとも考えられる。色を物質とするなら、空はエナジーである。
要は、同じ言葉であっても解釈次第でその意味が千変万化する可能性がある、ということになろうか。

いずれにしろ、今日の文明社会は、この数学、そして物理の言語によって成り立ってきたと言って過言ではない。

さて、結論めいたことを言うなら、無言の言という通り。この数学という言語の力をもってしても、証明不可能な真理がある。これを初めてその数学という言語の力を借りて証明したのがかのゲーデルなのである。

つまり、無言の言とは、わたしに言わせれば、極めて数学的厳密性をもった言葉なのである。