風立ちぬ・・・そして腹も立ちぬ

2013/07/23 13:51


宮崎駿監督作品、「風立ちぬ」を見た。副題に「堀越二郎と堀辰夫へ敬意を込めて」とあるのは、このアニメ作品が堀越二郎零戦開発と堀辰夫の小説「風立ちぬ」、そして「菜穂子」をミックスさせたフィクションであることを示している。


これを見て、まず感じたことは、空と大地、そしてその間でうごめく昭和の初めの人々の風景の素晴らしさだった。
空の青がいい。そして雲の一つ一つが表情に富んでいて素晴らしい。大地も水も緑も生き生きとしている。このころの日本人たちの立ち居振る舞いが実に美しい。


この映画を見た後で、すぐに文芸春秋を読んだ。そこに宮崎駿監督と半藤一利氏の対談が掲載されていたからである。


非常に面白いやりとりだった。宮崎氏が実にシャープな頭の持ち主であることが分かる。
氏の父親というのは、栃木県で工場を経営していたのだという。しかも、家の土間にゼロ戦の風防が置いてあったのを当時3,4歳だった氏は憶えていると述べている。
つまり、ご尊父は三菱の下請けをやっていたのである。もともと宮崎氏とゼロとには因縁浅からぬものがあったということなのだ。

それにである。氏の母親というのは、ご尊父の二度目の妻だったという。というのは、大恋愛の末に結ばれた最初の妻は、大変な美人であったそうだが、結婚一年目にして菜穂子と同じように結核で亡くなったのである。


また、氏の父の父、祖父もまた東京で工場を経営していて、関東大震災にあっている。
そのときの話がまた面白い。このお祖父さんは、地震の後にすぐ飯を炊けと命じたのだという。そして、職工たちに握り飯をしっかり食わせてから避難をさせた。そのせいか全員が無事逃げおおせた。
自分自身は、全財産を懐にかの陸軍被服工廠へ逃げたのだが奇跡的に助かった。助かったばかりか、全財産で材木を買い集めた。東京の復興に材木が必要になるという先見の明というか、転んでもただでは起きぬという不屈の精神があったということなのであろう。


もっと面白かったのが、「自分の作った映画を見て泣いたのは初めてです」という宮崎氏の惹句である。いったい氏はどこで泣いたのだろうとわたしもついつい興味を惹かれたのだが、それは、ドイツからライセンスを買った三菱が堀越や本条らをドイツのユンカース社に見学させたときのシーンだというのだ。

確かに映画に描かれていたドイツ人たちの日本人に対する扱いは酷いものだった。日本中の飢えた子どもたちに一年間分の食料を与えられるほどの金を受け取っておきながら、ああ、ここはダメ、ここもダメと碌に見学させようとはしないのだ。ドイツとはこのような国であったわけである。


それにもかかわらず、なぜ日本はこのような国と同盟を結んだか。半藤一利氏は、ずっとその謎に頭を悩ましていたという。多くの元軍人を訪ねては、あれはなぜだったのかと聴いてまわったという。ところが誰も固く口を閉ざして開こうとはしない。いよいよ、これは何かあると睨んでいたところ、ついにその謎が解けた。つまりは、ドイツのハニートラップだったというのだ。


藤原正彦氏に言わせれば、下半身の問題は、これはもうどうしようもない、ということになる。紳士の国イギリスでは、贈収賄事件は稀有だそうである。ところが、男女の問題は、このような国であってもしばしば新聞を賑わすと書いている。

大日本帝国軍人もこの例に漏れなかったというわけである。この行を目にしてわたしも思わず笑ってしまったが、あの映画のシーンを思い出すと、笑いごとではないという気になる。いや怒りさえこみ上げてきた。おまえらがそんなことだったから、日本は戦争へと突入し終には負けてしまって、今やこの為体なのだと。

 

まぁ、こんなところで怒ってみてもしようがない。

この対談はお二人の才気あふれる話のせいか、一気に読み通せた。いい収穫であった。