哲学につける薬2

2016/04/13 22:34

赤と青、どちらが黄色いか?

恋の病と馬鹿と哲学者につける薬はまだ発明されてはいない。しかし、今のところ、わたしに該当するのは二番目だけだから、発明されたとしても薬は1種類で間に合いそうだ。

上のような愚問に哲学者ならどう答えるだろう。恐らく、哲学者よりは一休さんの知恵でも借りたほうが良さそうだ。哲学的問題というよりは禅問答、いや単にいちゃ問だからである。一休さんに襖絵の虎を退治してみせよ、と言っているようなものだからである。さて、一休さんなら何と答えるだろう。

わたしなら、混ぜてみて紫になったほうが黄色いとでも答えるだろうか。

なぜこんなバカな出題をしたか?
実は、これと同じ類の愚問を哲学者という人種は、人類の歴史と同じだけ時間をかけてやってきたのではないか、と思うからである。
神は存在するのかどうかとか、運命の必然性と偶然性とか、善と悪についてとか、個人の幸せとは全く関係のない難問?を自ら捻りだしては時間つぶしをしてきたのである。その点においては、スマホのゲームに夢中になっている現代の老若男女となんら変わりはない。

わたしなら、金が唸るほどある経営者になって馬にでも乗っていたいしポロやスカッシュにでも興じていたい。もちろん、頭にもスポーツは必要だから碁やチェスもやるであろう。

要は、哲学とは辛気臭い貧乏人がやるに事欠いて行うタダでできるゲームなのである。
金もあり日々が充実しており、健康で幸せであるなら、だれが好き好んでこんなゲームに明け暮れるだろうか。
こういう人たちにとっての「哲学」は、本来自分自身と共にあり、自分自身の死とともに完成するものだからである。