おませマテックス

2016/07/05 20:41


日本では数学を小学生までが算数とし、中学生からは数学という。他の国について知っているわけではないが、このように区別をする理由は恐らく日本独特の教育政策上のものであろう。
それなら、なぜ音楽を小学生までが音楽で中学生からは音学としなかったのだろう。

それはそれとして、音楽にしても数学にしても、その実質は教育とはまったく関係がない。少なくともわたしは、音楽を勉強だなどと思ったことは一度もない。好きな女の先生の美声が聴ければそれだけで良かった。また、勉強はしなかったしできなかったが、歌謡曲ならいくらでも歌えた。クラシック音楽を聴くのも好きだった。

それはそれとして、算数と数学についてである。わたしは上に述べたように、この区分は実質何も変わらないものに無理やり仕切りを拵えただけのことと考えている。この仕切りの両側を見て本質的な違いがあると捉えるのは、そう捉えたいからというだけのことではないのか。

たとえば、算数は具象化した思考を要求するものであり、数学は抽象化した思考が要求される、という者がいる。しかし、それは当たり前のことで、中学生ともなれば当然に知能もそれだけ発達するし、なにより日本の教育政策がそれを要求したからである。
数学そのものには抽象も具象も関係がないのだ。

算数は存在論的で、数学は関係論的である、という説もあるらしい。これも取ってつけたような考え方である。数学は当然、両者を包含する。

算数が数学になってピカピカの中学生が驚くとすれば、それはいつもカジュアルな服装の親父がスーツをびしっと決めたときに感ずる驚きと同じで、一時的なものである。実はこの親父、まったく見かけ倒しで中身はちっとも変ってなどいないのだから。

算数と呼ぼうが数学と呼ぼうが、本当に要求されるのは、1から100まで馬鹿正直に足していくか、それとも7歳のガウスのように、

(1+100)×50 と一瞬にして答を出してしまうか、の違いのように思える。