空葬

お釈迦様は、入滅のとき虎にその身を捧げたという。確か、誰のものだったかその様子を描いた絵があったはずだ。

それはともかく、わたしは、これこそが究極のエコではないかと思う。

人間は生まれては死ぬ。次々と生まれては次々と死んでゆく。

そして、死ぬと焼かれてガスと水と骨になる。

毎年我が国だけでも百万人以上がこういう運命を辿る。何という無駄であろうか。

だから、わたしはこう思うのだ。

昔、風船おじさんと呼ばれた人がいた。この人、確かSさんと言ったはずだが、彼の行ったことは、まさに画期的というに相応しかった。

Sさんは、水素の入ったゴム風船をたくさん繋いで大空へと飛び立ったのである。

その後Sさんは行方知れずになってしまったが、本当はジェット気流に乗ってアメリカまで行くつもりだったのである。

彼の夢は潰えたが、わたしには希望を与えてくれた。それは、いずれわたしもいよいよ死ぬとなったらこれをやってみたいという最後にして最高の望みである。

考えてもみたまえ。これは冒頭のお釈迦様の行為と同等の、至高にして究極のエコロジーではないか。

風船にはゴムではなく紙を使う。5メートル立方あれば、大の男一人を太平洋まで運ぶに十分であろう。

そして、何時間か、あるいは何日か太平洋上を飛んだ後、落ちて沈んで魚の餌になるのである。

その前には満天の星を戴いた空が、あるいは赫奕たる旭日を拝めるかも知れない。そして我が身がこの宇宙と一体であったことを身に染みて覚えながら死んでゆくのである。

どうだろう。こんな死に方ならやってみたい、という気にはならないだろうか。

少なくともわたしなら、火星への一方通行の切符などをもらうより、こちらの方を選ぶであろう。