すみません

2009/12/18 22:51

  この「すみません」についてだが、日本人はよく外国の方から誤解を受けるようだ。

 曰く、なんで日本人はしょっちゅう謝ってばかりいるの? 悪いのは携帯を見ててぶつかった私のほうなのに、向こうから逆に謝られてなんだか気持ちが悪い、等々。

 たしかに、日本人であるわたしでさえ、ときに不思議に思うことがある。なんで、俺いますみませんなんて言ったの。あれ? 謝る必要あったけっ? てな具合に。

 でも、このすみません、漢字にしてみるとよく分かるけど、澄みませんからきている。で、なにが澄まないかというと己の心がということになる。
 だから、たしかにぶつかってきたのは向こうだけども、こちらももっと神経を研ぎ澄まして注意していれば、ぶつからずに済んだのに、という気持ちの表れの言葉ということになる。
 わたしたち日本人は、実に協調性に富んだ、自己を一歩後に引いて考えることが自然にできる謙虚な民族なのである。ところが、外国人にはここが良く理解できない。

 もう一つ。プレゼントの季節になってきたが、日本人が相手に贈り物をするときに、
 「お粗末な物ですが・・・」とか、「つまらない物ですが・・・」などと言って贈るのに対し、アメリカなどでは「とっても素敵なプレゼントよ」とか、「あなたのために大奮発しちゃったわ」とか、極めてフランクというか、わたしたちからは見ようによっては非常に軽い感じで贈り物をしているのが分かる。
 この違いは何だろうか? 要は、贈られた方が同じように喜べば、贈り物の効果としてはまったく同じである。これだけ言葉のニュアンスが違うのに、贈られた方が同じように喜ぶのは、同じ文化を共有する者同士だからである。
 もちろん、昨今の日本人はアメリカ人から上のような言葉を添えてプレゼントされたとしても驚く者はいない。しかし、逆のケースだとまだまだ驚いた顔をするアメリカ人が多いのではないだろうか。

 改めて解説するまでもないが、日本人がお粗末な物ですがと言って贈り物をするのは謙譲の気持ちからであり、あなた様のような立派な方に差し上げるには余りにお粗末に思え申し訳ないといったような気持ちの表れである。
 一方アメリカ人の場合は、あなたに相応しい立派な贈り物をわたしは選んだつもりよという自負と相手を立てる気持ちを素直に表現したものである。双方とも相手を敬う心のこもったものであることに違いはない。ただ、贈る側の視点が違うだけのことだ。

 いずれにしろ、文化の違いというのは、とんでもない誤解を生む元になることもあり非常に恐ろしい。ジェスチャー一つ例にとっても、日本人が相手を呼び寄せるときに使う手の振り方は、アメリカ人にはあっちに行けという嫌悪を表わすサインと誤解されかねない。

 そういえば、これは文化の違いというのではなくて民族の違いと言った方がいいのだが、こういう笑うに笑えない話を何かで読んだことがある。フィクションではない、実際にあった話である。
 アメリカのある都市。日本人の若い夫婦が車中に赤ちゃんをベビーシートに括りつけたまま、
デパートで買い物に夢中になっていた。そして、買い物を終え、車に戻ってきたところを警官に詰問された。アメリカでは、おそらく州によって多少は違うのだろうが、車に赤ちゃんを置いたままにするなどというのは法的に幼児虐待と看做されても仕方がない。
 しかも、ここがお笑いなのだが、警官が赤ん坊のオムツを捲って見ると、なんとそのお尻はインディゴブルーのような青あざになっていた。それを見て警官の顔も青くなった。いや、きっと赤くなった。そして「これはいったい何だ」と気色ばんだ。
 夫婦の必死の抗弁も虚しく、結局2人は乳児虐待の容疑で逮捕されてしまったというのである。警官らは、日本人の赤ん坊のお尻が青いということを知らなかったのだ。

 ところで、日本に来た中国人はタクシーが怖くて乗れないそうである。何故か?
「毎度有難うございます」のステッカーがその理由だそうだ。
 わたしには、そちらこそ毎度有難ではないかと思えるのだが。