シュレディンガーの猫

2010/01/09 23:28

以前から書きたいと思っていたテーマに運命がある。非常に深くて重たい哲学的な問題である。なぜなら、運命は時間という極めて難解な物理的要素とリンクしたものだからである。

話は飛ぶが、事業仕分けのときにスーパーコンピュータ、いわゆるスパコンが話題になった。スパコンとはその計算速度が極めて速いコンピュータのことである。たとえば、一秒間に何千億回足し算が出来るとか、円周率を小数点以下何千億桁まで計算できるなどといった、とてつもない性能をもった電子計算機のことである。

あるフランスの科学者は、このような計算機を使えば運命さえも計算できると考えた。つまり、いかに複雑であろうと、物事は原因によって結果が生じるように出来ている。したがって、上のようなスーパーコンピュータに必要なだけの原因を入力してやれば必ず正しい結果が出力されるだろうと考えた。
この科学者の名はラプラスと言い、当時はコンピュータなど空想にもなかったから、彼はコンピュータの代わりに悪魔(子鬼)を考えた。後世これをラプラスの悪魔と呼ぶようになり、量子力学を説明するときにしばしば引き合いに出されるようになった。

ラプラスが考えたように、もしも現象というものが厳密に原因と結果という関係にあるなら、運命は自ずと決定論的に最初から「決まっている」ことになる。オギャーと産声を上げたときから人はコンピュータの弾き出す計算結果と寸分違わぬ人生を歩まねばならないことになる(もっともこのコンピュータは悪魔ならぬ神のような存在で、その人生がどのようなものかを決して告げることはない。さもないとパラドックスが生じるからである)

さて、ここまでは話を展開していく上での下拵えである。はたして、運命とは必然的な、既に決定したものなのであろうか(もしもそうだとしたら、この宇宙は極めて安定した、動的にステーブルなものということになる)。それとも偶然による不確定なものなのであろうか。

続きは寝床の中でじっくり考えて、また明日書くことにする。