リンゴの数え方の哲学

2016/10/15 07:51

日本の算数では、

3×7と7×3は違うものらしい。

たとえば、一皿に3こリンゴが載った皿が7つあったとする。
リンゴは全部でいくつあるでしょう、という問題に

7×3=21

と答えると、ペケをもらってしまうらしい。

わたしには理解不能のことである。答はどちらも21で同じじゃないか、と先生に食ってかかるかも知れない。

この問題は、わたし流に解釈するなら、行列式、つまりマトリックス問題なのである。

3を行と見るか、それとも列と見るかという観点の問題であり、根本的なものではない。だから、答が同じ21になると言って、びっくりしたり歓喜の声を上げたりする小学生はいない。

問題は、では、行と列はどのように決めるのだろうか、ということである。これは、いまだにエクセルの列と行がわからないわたしにとっても大問題である。
列を辞書で引くと、行の反対、行を引くと列の反対、などと書いてあるのではないかと考えて一度も調べたことはない。まぁ、こんなものどうでもいい、と思っているからではある。

ただ、行と列は相対的な観念であるから、四角いテーブルを前にAの左隣にいるBには、Aにとって行である7が列になり、列である3が行になる。
もっともこれも机上の空論であって、宇宙空間を念頭に考えれば、このことがよく分かる。宇宙では、わたしたちが日頃絶対と考えている上下や東西南北が通用しないからである。

宇宙に座標はない。XYZという軸は相対的なものなのである。したがって、リンゴの数を求めたいのであれば、

3×7×5でも7×5×3でも5×3×7でも答は同じ105個である。

要は、同じものを見ていても、視点によって見え方が違うということであり、また同じ視点というものが二つとない、ということである。

しかしまぁ、こんなことは書いていても馬鹿らしくなるくらい当たり前のつまらないことで、これを哲学などと言ったら、それこそ笑われるであろう。

ところが、世の中には375と753と537が同じものであることが理解できない自称哲学者がいるらしい。
あれは、花をさすときには375と言い、コップに水を入れるときには753って言うのですよと説明してやらねばならないらしいのだ。
こうなるともう、哲学ぼけというよりもは認知症としか思えない。

ジョークを思い出したので一つ。こちらの方が、わたしには余程哲学的に思える。

ユダヤ人が二人、互いにジョークを飛ばしながら笑い転げていた。

ポーランド人がそれを聞いていたのだがちっとも面白くない。というよりも、彼には理解不能なのだ。なぜなら、彼らは互いに番号を言いあっているだけだったからだ。

そのとき、いままでよりも一層声を大きくして二人のユダヤ人が笑い始めた。

とうとうたまらなくなって、ポーランド人が訊いた。

「いまの357ってのは、いってぇどういうジョークなんだい」

すると、ユダヤ人の一人が腹を抱えて苦しそうに笑いながら答えた。

「ああ、今の奴かい。今のは、二人とも初めて聞く新ネタだったのさ」


一体どうしたら、こんなジョークで笑えるのだろうか。ユダヤ人というのは、聞きしに勝る天才というよりない。