てんかんは差別か?2

2012/04/14 11:14


また起きてしまった。癲癇を持病に持つドライバーによる大事故。
今回の祇園での事故を癲癇の発作によるものではない、との一部報道もあったりするが、わたしにはその方がよほど酷い報じ方のように思われる。癲癇の発作によるものでなければ、これは殺人事件ということになるからである。
幾らなんでもそれはないだろう、と思うのである。
やはりわたしは、加害者は癲癇の発作によって、無意識のうちにあのような事故を起こし、そして自身も死亡してしまったのだと考える。

少し前にも書いたが、この世は生まれたての赤ん坊から死ぬ間際の老人まで一人として完全な健康体の人間は存在しない。
癲癇は、あるいは統合失調症は、あるいは鬱病は精神の疾患ではない。いや、精神の疾患などというものは、一つとして存在しない。すべては脳の不健康な状態という言葉で片付けてしまうことさえ可能である。
精神の疾患などと言えば、激しい怒りや悲しみさえその範疇に入ってしまうだろう。

だから・・・、おまえさんはいったい何が言いたいの?

癲癇は明らかな、脳という臓器の、繰り返し発生する一時的機能不良である。
しかし、一時的な機能不良とはいえ、車や飛行機の運転、操縦中に起これば、今回のような事態を招来させることは誰にでも容易に想像できる。
それなのに、なぜこのようなことが度々起きているのか。

わたしは、この疑問の答えは、結局はあの筒井康孝氏の「無人警察」事件に行きつくと思うのである。
あの事件は、筒井氏が断筆宣言をするまでに発展した。氏の憤りの大きさ、義憤の凄まじさがこれだけで知れようというものである。

では、なぜ「無人警察」が世に出ることまで憚れようとしたのか。

わたしは、謎かけ問答のようではあるが、同じくSF作家であった故星新一氏の「呪いの兵器」?というショートショートにこの本質が巧みに寓話化されているように思えて仕方がないのである。

その「呪いの兵器」という、タイトルもうろ覚えの小話は、誰かが敵対する相手を呪うとその相手が死んでしまうという恐ろしい兵器を発明した。さて、その結果は・・・、というものである。

で、その結末は、ありとあらゆる信条や趣味、そして利益を一にするグループが雨後の筍のように林立しだしたというものである。

つまりこの話は、核戦争を回避するために核を持つという、言語矛盾のような現実を風刺しているとも捉えられが、一方わたしには、癲癇協会や、その他一部の権利団体のように、余りに自己の権利や利益ばかりを主張していると、今回のような癲癇を持病にするドライバーによる悲惨な事故は後を絶たないよ、ということを黙示しているように思えてくるのである。