食う、読む、寝る

2012/06/18 22:03


ものを食うとき、まず、旨いものから先に食う。これがわたしの流儀だ。これがわたしの流儀だが、わたしはこれをバカの証拠であると考えていた時期があった。
その考えを変えたのは、こんな風な考え方に出会ったからである。つまり、aからhの彩り豊かな幕の内弁当を食うとする。そしてアルファベットの順に食っていけばわたしの流儀に叶うことになるとする。最初にもっとも旨いa.を食う。aを食い終えると残りで一番旨いのはbとなり・・・と、最後のhを食い終わるまで、わたしはその都度一番旨いものを選んで食っていくことになる。
だが、これを反対にすればどうか。いつも一番まずいものから食っていくことになる。

まぁ、半分詐欺のような論理ではある。

ところで、象は大変に利口な動物らしく、わたしなどとは反対に食い惜しみというのをやるらしい。たとえば、好物のサトウキビをはじめ芋や林檎など様々な餌を与えると、自分のもっとも好きなサトウキビを最後まで大事に取っておくというのだ。楽しみは最後まで残しておこうという知恵が働くらしい。

ああ、それに比べてわが身のなんと刹那的であることか。

というようなことはさておき、わたしは食うことと読むことはとても良く似ていると常々思っている。まずどちらも出力ではなく入力であるということ。そして食うことは身体の、また読むことは精神の滋養になるということもある。

それにわたしの場合、ものを食うのと同じでまず週刊誌などはもっとも好きな記事から読みはじめる。
週刊新潮を例に取ると、最初はいつも巻末の、ぴりぴりとテトラドキシンが味蕾を刺激する高山正之氏の変見自在から読むことに決めている。
次がその毒を少し中和する意味もあって巻頭を飾る藤原正彦氏の管見妄語となる。

ゲーテがうまいことを言っている。これはわたしの上の理論を補強することにもなるであろう。
若きウェルテルの悩みかあるいはファウストかは知らないが、ある人がゲーテに「あなたはいったいあのような傑作を生み出すためにこれまでどのような書物を読まれたのでしょう」というようなことを尋ねた。
するとゲーテは、「そのような質問は、太っている人を見て、あなたはいったい何を食ってそんなに太ったのですか、と聞くようなものだ」と答えたという。

さぁ、今日はもう寝るとしよう。